近視(視力低下)という言葉はいつから…
近視(視力低下)という言葉はいつから…
それを調べるには、メガネの歴史を調べれば分かるのではないかと思い
確認してみると、眼鏡の発明者や発明の年代ははっきりとしないが、
歴史的有名人の名前が…
1030年頃アラビアの物理学者アルハ―ゼンが、光の反射、屈折、眼の構造を述べる中で眼鏡の原理について言及。
イギリスのロジャー=ベーコン(1214年~1292年)は、本の上にガラス玉を乗せると文字が大きくなることを発見。
一説には、1317年に死亡したフィレンツェのアルタマスと1313年に死亡したピサのスピーチが発明したとも言われています。
その当時のメガネの役割は、知識階級の人々に対する、読み書き補助の為の老眼鏡でした。
14世紀半ばになると印刷技術の発明が起こり、書物はそれまでの学者や僧侶だけではなく、一般の人々にも広く普及。
その結果として、メガネも書物同様に一般に普及していった。
中世においてメガネは知識と教養の象徴であり、聖人の肖像には、たとえメガネ発明以前の人物であっても、メガネがしばしば描き入れられた。
そして近視用のメガネが発明されたのは13世紀半ばで、18世紀ころには、ベンジャミン・フランクリンの考案で、自身の為に遠近両用眼鏡が初めて作られた。
尚、乱視用の円柱レンズが普及するのは、19世紀末である。
一方日本には、フランシスコ・ザビエルが山口城主 大内義隆へ、はじめてメガネを献上したと記録されていますが、実物はなく、当時のメガネの玉は、水晶またはガラスでした。
ポルトガル人のルイス・フロイスら一行が岐阜で信長に謁見した時、フランシスコ・ザビエルが近眼でメガネを掛けていたため、
人々が驚きバテレンは四つ目だという評判が立ちました。
彼らが出立する時は4、5千人の野次馬が見物に集ったそうです。
現在日本に残っている最古のメガネは、大内義隆と同時期に活躍した、将軍 足利義晴の遺品です。
中国南部で作った折りたたみ式の鼻眼鏡で、日明貿易関係者の贈り物らしいです。
明智光秀が使っていたのは、掛け眼鏡や天眼鏡だったといいます。
(明智光秀は、信長の重臣でしたが、主君の微妙な顔の変化が察知できなかったため、つらく当たられたとも言われています。)
徳川家康のメガネは久能山に納められているようです。
江戸時代には、紐を耳にかけるタイプの眼鏡が、主に使用されていたと言われています。
水戸光圀が『大日本史』編纂作業のため老眼鏡を使っていたが、この頃は貴重品でした。
『南総里見八犬伝』の著者 滝沢馬琴が晩年、眼病のために買った眼鏡が1両1分(約2万円)。
一般でも使われるようになったのは、17世紀末の元禄時代以後でした。
世界では、書物が一般に普及するに従がって、メガネが普及し、日本でも、歴史的に有名な著者などが、メガネを購入し、その後、一般に普及して行ったのは、書物が一般に普及し始めたことが考えられる。
近視(視力低下)は、環境要因によるものが、昔から大きかったのではないだろうか…
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